56歳

信長の父信秀から仕えた譜代の家臣で、信長の黒母衣衆筆頭を経て、信忠の与力筆頭として手腕を奮う。
甲斐武田攻めの際、果敢な攻撃で武田家滅亡の立役者となった。
現在は柴田勝家・明智光秀らの軍団司令官に次ぐ地位を得て甲斐の国を統治するが、武田治世を懐かしむ一揆に悩まされ続けられている。
一揆が徳川家の工作である事を見抜けず、武田信勝存命の噂で勢い付くのを怖れて、その噂の根源を絶つために出陣。

25歳

幼名茶筅丸といい、信長の次男。
三男信孝より20日後に生まれたが次男とされた事で、信孝には優越感を感じ、兄信忠には強烈なライバル心を燃やす。
政略によって伊勢国司北畠具教の養嗣子となり「北畠具豊」と名乗るが、すぐに「信雄」へ改名。その後に具教を暗殺し北畠家を事実上の滅亡へ追い込む。
以後、伊勢長島殲滅戦など各地を転戦し、戦功をあげる事で織田姓への復帰を望む、野心多き武将。

26歳

15歳の時に姉川の戦いに浅井方として参戦し敗戦を経験。
主を替えながら放浪するように、北は奥羽から南は琉球まで諸国を巡り見聞を広める。
21歳の時に秀吉の弟羽柴秀長の人柄に惚れ込み出仕。その後は秀長に供して各地を転戦しながら築城術や多くの政事を学ぶ。
今回の戦では、放浪の頃に学んだ水軍術を見込まれて、軍艦に乗艦しての出陣となった。

41歳

別名「海賊大名」を持つ九鬼水軍頭領。
元々志摩の豪族で伊勢国司北畠家の配下だったが、27歳の時に滝川一益の仲介で織田信長に随身を決めて以来、信長麾下の船手大将として各地を転戦した。革新的で直情的、そして破滅型の嘉隆は、同じ波長をもつ信長に惹かれたのだろう。
4年前の毛利水軍600艘との戦いで、新造甲鉄船6艘だけで撃破し、その戦功によって三万五千石どりの大名にのし上った。
軍旗の「あらは」は荒波の意味であるが、遥か南の島の挨拶「アロハ」とは無縁ではない・・・と嘉隆は語る。

20歳

九鬼嘉隆の嫡子で海に生まれ海に育つ生粋の海の男。
彼にとって、海は果てしない憧れ、旗は死に場所の目印、船はとらわれぬ魂である。
父である嘉隆と意見が合わず対立する事もしばしばではあるが、心底では父を尊敬し父のようでありたいと心から願う若き跡取りである。
後の話となるが、顔のつくりが激変化するのは・・・遺伝なのか悪○の実シリーズを食べたのかどうか、定かではない。