25歳
幼名三七丸。生母の地位の差から信孝より20日後に生まれた信雄が次男となり、信孝は三男とされる。 北伊勢の豪族神戸具盛の嗣子となり、神戸家の当主となる。 以降信長の直轄遊撃軍として各地を転戦するが、兄たちほどは優遇されず、家内での序列は信忠、信雄、伯父信包に次ぐものであった。 信長に似て美形で頭も良く文武に秀でていたが故に、何かにつけ信雄より格下に扱われる事がコンプレックスとなり、信雄をたえず意識する。
56歳
元西美濃四人衆の一人。はじめ美濃守護土岐氏の家臣で、斎藤氏を経て織田信長に仕える。 浅井長政とお市の婚儀をはじめ、主に外交面で活躍した武将だが、軍事面でも信長の馬廻りとして姉川の戦い、伊勢長島一向一揆攻め、浅井・朝倉滅亡戦など主要な戦にも参陣。 この頃は前田利家と同じく柴田勝家の目付であり軍事的には勝家の与力である。 弁舌で説き伏せるタイプではなく、存在感だけで相手を圧倒する事が出来るプロの交渉人。
通称勝蔵、武蔵守。 甲斐武田攻めでは「人間無骨」と呼ばれる槍を振るい鬼気迫る闘いぶりをして「夜叉武蔵」と呼ばれる。 勇将と謳われた父可成と兄可隆が浅井・朝倉で討死した為、幼くして森家家督を継ぐ。 弟達の蘭丸、坊丸、力丸、千丸の父代わりを務める良き兄である。 池田恒興の娘で池田軍女鉄砲隊を指揮した女丈夫せんが妻。 誰からも好かれ、岳父恒興や前田利家をはじめ多くの先輩武将に可愛がられる。
22歳
前田利家の嫡男で前田家後継者。信長の娘を正妻としている。 父利家の傾寄ぶりに多少影響は受けるものの、基本的には母まつ似の常識人で知識人である。 その反動なのか伯父慶次の武辺一辺倒をあまり好かず、どちらかと言えば父や伯父よりも、父の同僚の不破光治の政治家ぶりに傾倒している。目指すのはバランス感覚に優れた有能な施政官である。
40歳
前田慶次郎利益。 滝川家から前田家長男の利久への養子となり、本来なら前田家家督相続権は四男の利家ではなく慶次だった。 前田の家風と滝川の血により当代きっての風流人で、戦国一の傾奇者で、一騎当千のいくさ人となった慶次は、戦場に生き戦場で死ぬ事を生きがいとする、文字通り「命を捨てて生きる漢」である。 派手で異風な言動を繰り返すが、心底には利家の正妻まつへの思慕と前田家の将来を案じる心がある。