58歳
赤母衣衆(信長親衛隊)で前田利家、不破光治らとともに越前衆と呼ばれる柴田勝家の与力。 戦場では別働部隊を任される事が多く、ゲリラ戦に手腕を発揮した武将。 初名は可近だったが、優れた軍功により信長から長の一字を賜った事から、信長に心酔し崇めていた。 しかし、明智光秀を通じて茶道に目覚めた事により、常々尊敬していた光秀の挙兵には驚きと戸惑いがある。 また、黒母衣衆の佐々成政とは仲が悪い・・・
46歳
父の代から織田信長に仕え、黒母衣衆となり、現在は筆頭となっている。 織田家の譜代家臣という家柄からエリート意識は高いが、生一本の性格で涙もろい。 寡黙というより弁才が無いので言葉よりも行動が目立ち、猪突猛進型と見られがちだが、(外見ほどは)決して短気でも粗野でもない。 何かというと弁才をひけらかし馬鹿にする羽柴秀吉が大嫌いで、事あるごとに反目するが、前田利家とは仲がよいので、利家が秀吉と仲がいい事にも腹を立てている。
38歳
名は勝猛。この頃は筒井家の家老で松倉右近重信とともに筒井の「右近左近」と並び称される。 荒木村重討伐戦では総指揮した明智光秀より「鬼神をも欺く勇将」と絶賛され、それが元で大和は筒井家に任される事になった経緯がある。 今回の光秀挙兵に際し「義」を重んじる左近は順慶に「明智殿に味方すべし」と説くが聞き入られず、結局敵側として出陣となる・・・胸中に何を想い戦場へ馳せるか?
33歳
謡曲、茶湯に優れた教養高い武将。 松永久秀に城を追われ、戦いに明け暮れていたが明智光秀の斡旋で織田信長に接近。 久秀討伐後に信長から大和守護職に任命され、明智光秀の与力となった経緯がある。 今回の戦では、家老島左近の意見を退け、光秀に組せず日和見る事を決めるが、勝家からの圧力と定次の説得で渋々出陣。 だが、家が無事に再興し織田家とも親類となったばかりなので、危険な賭け戦を嫌っている。
21歳
慈明寺順国の子で筒井順慶の養子となり筒井家の後継者である。 信長の娘秀子とも結婚している事から、何かにつけ自我を通す我儘ぶりを発揮し、家中での評判はあまり良くはない。 酒が大好物で鯨飲する事もしばしばだが、有能な家臣団のお陰で致命的な失敗はない。 今回の戦では、信長の義理婿としての権力拡大を狙い、養父順慶を戦場に赴かせる事に成功する。